マイナンバーショック 「例の件詐欺」
これは北見昌朗の空想に基づく記事です。マイナンバーの導入を控えて、問題提議するために執筆しました。何ら具体的な根拠はありませんので、悪しからず。2015年6月。
マイナンバーで「例の件」に悩む男の苦悩
写真はイメージです
明け方、男がしきりに寝返りを打っていた。
右になったり、左になったり、何度も何度も寝返った。
本当は「アー」と溜め息を付きたいところだが、横で寝ている妻に悩みを知られたくないので、こらえた。
一夜がこんなに長いとは、これまでの人生で感じたことはなかった。
ようやく朝が来たが、身体が重かった。そして何よりも、ココロが重かった。
男は、疲れた身体を起こした。下着は、びっしょりと濡れていた。
顔を洗いながら、鏡を見た。眼には、くまができていた。
男の名前は、藪医者男(やぶいしゃお)という。
年齢は65歳。職業は医師である。名古屋大学医学部を卒業した。同じく医師だった父から継ぐ形で「医療法人困窮会(こんきゅうかい)」の2代目理事長に就任した。それを名古屋で指折りの総合病院にまで拡大した。最近では老人福祉施設をバンバンと新設し、職員数が700人という規模を誇るまでになった。
藪には好きなものが2つあった。土地と女性である。良い土地があると聞くと、飛んでいっては購入し、そこに老人福祉施設を建てた。世間では、藪のことを「不動産屋が本業か?」と揶揄するくらい、土地にこだわった。
ハイエナ
藪は、いつもなら病院に向かうところだが、今日は行き先が違っていた。名古屋の栄にある某ホテルだった。そこで朝から、ある男との面会の予定があった。
ホテルに着いてみると、ロビーで3人の男が待っていた。チンピラ風の、いかにもヤバそうな連中だった。
男たちは立ち話をしていたが、向かって来た人物が藪だとわかると、とっさに表情を変えた。恐ろしいヤクザの顔である。獲物を見つけたハイエナの顔と言っても良いだろう。
藪を含めた4人は、喫茶コーナーに入った。コーヒーが出される前に、中央にいたヤクザが口火を切った。
「オレが難波(なんば)だ」
オドオドしている藪に対して、さらに続けた。
「例の件だが、マイナンバーでもう出てしまっている。それが出てしまったら、あなたの信用が傷つく。もう病院経営もできないかもしれない。ここで表沙汰にしたくないなら、オカネが要る」
藪は、脂汗が背中をしたたり落ちたのがよくわかった。藪は、声を絞り出すかのように言葉を発した。
「それでいくらなんだ?」
男は、険しい目つきで言葉を放った。
「300万円」
藪は、思わず言い返した。
「さ、さ、さんびゃくまんえん」
男たちは、藪を睨みつけてきた。
「おい、おい、おい」
と、難波がダミ声を張り上げた。
藪は
「大きな声を出さないで下さい」
と懇願した。
こうして、藪は300万円を脅し取られた。
1通の親展が…
藪を苦しめることになったきっかけは、1通の親展だった。それは差出人不明だった。開けてみると、そこには次のように書かれていた。
「マイナンバーで、あなたの情報が漏えいしている。ここで書くことはできないが、あなたの『例の件』がすべて発覚している。これが表沙汰になったら、病院経営にも影響があるだろう。この件で、一度お会いしたい」
手紙には「難波」という名字と、連絡先の携帯電話が書かれていた。
藪は、手紙を受け取るなり、すぐポケットに入れた。秘書として勤務している妻に見られないように、である。
「例の件」と言われて、藪には思い当たる件があった。それも複数である。
まず思い当たるのは、別れた愛人A子である。A子との間には、子供ができてしまった。藪は堕ろすように何度も懇願したが、A子は産んでしまった。その養育費として毎月50万円ずつ振り込んでいる。
マイナンバーでは預金が把握されているので、その口座の動きを見れば、A子への送金実績がわかる。
(さては、A子との間に作った隠し子がバレてしまったのか?)
藪の頭の中は、もう一杯になってしまった。
(でも、しかし)
と、藪は思った。思い当たるフシは他にもあった。
(B子のことかな? C子のことかな?)
もう、こうなると、思考は止まらなくなってしまった。
そして、自分の携帯電話から、差出人の難波の携帯に電話をしてしまった…。
新聞に「逮捕」の記事
藪に対する恐喝は、300万円を払っても止まらなかった。脅し取られたオカネは、合計3回900万円にのぼった。
困り果てる藪に、救いともいえるニュースが飛び込んできた。新聞を見ていたら、詐欺事件が載っていた。
<「例の件」といって脅迫を繰り返した詐欺集団が逮捕>
名古屋中警察署は、「マイナンバーのおかげで、例の件が漏えいしてしまった」と言って脅迫を繰り返していた詐欺集団を逮捕した。逮捕されたのは難波舞男(なんばまいお)ら3人。
3人は、市内の医療法人の理事長あてに親展を送りつけて「マイナンバーで、あなたの情報が漏えいしている。ここで書くことはできないが、あなたの『例の件』がすべて発覚している。これが表沙汰になったら、病院経営にも影響がある」と脅迫をした。
被害にあったのは、市内の医療法人の理事長で、警察が把握しているだけで3人あり、
それぞれ500万円以上の金額で、合計2000万円に及ぶ。警察はまだ余罪があるとみて調査している。
3人は「医師は世間体を気にするので脅迫しやすかった」と語っているという。
藪は、新聞記事を何度も何度も読んで、もうこれで脅迫されずに済むと思うと、安堵した。そして、自分以外にも、同じ風に脅迫されてオカネを脅し取られる医師がいるのを知り、思わずつぶやいた。
(バカだなあ)
(でも、オレもバカだったなあ)
同様の事件が続発へ
この「例の件」詐欺は、そのニュースが報道されると、真似をして同様の詐欺をする者が続発した。世間では、これを「例の件詐欺」と呼ぶようになった。