マイナンバー倒産事件 スーパーが自己破産へ
この記事は、北見昌朗が2015年4月に空想で書いたものです。マイナンバーの導入を控えて、問題を提議するため書いたものであり、あくまでも空想であることを断らせていただきます。
1通の封書が…
2017年4月、地方スーパーのA社に1通の封書が届いた。差出人は地元の年金機構だった。社長のBさんが封を開けてみると、こんな内容のことが書かれてきた。
『会計検査院の実地検査があり、貴事業所が調査対象に選ばれました。つきましては●月●日にご来所いただきたい』
「ウワー!また来た」
社長のBさんは、思わず腕を組んでしまった。顔をしかめて、困った表情になった。
A社は、従業員20人のスーパーだ。戦後の創業以来、もう60年も営業をしてきた。だが、バブル崩壊以後は売れ行きが低迷し、厳しい経営を強いられてきた。社長のBさんが、社会保険(厚生年金・健康保険)を止めたのは5年前だった。社会保険料の負担に耐えきれず滞納を続けた結果、遂に全員の資格喪失届けを出して脱退してしまった。それ以降は労働保険(雇用保険・労災保険)の加入のみ続けた。
社長のBさんは、社会保険の脱退が違法であることはわかっていた。だが、売上の不振が続き、何期も連続して赤字であったので、背に腹は代えられなかった。
それ以降も、年金機構は社会保険への加入を求めて指導に来た。だが、B社長はノラリクラリとかわし続け、引き延ばしてきた。そんな過去の経緯もあったので、B社長は今回の検査もノラリクラリ作戦でやり抜くつもりだった。
B社長は、調査に備えて、賃金台帳に手を加えた。従業員は実際には20人いたが、10人しかいないことにして、一部をカットした。
調査の当日、B社長が年金機構に行ってみると、年金機構の職員が緊張した面持ちで何人も待ち構えていた。そして、調査の会場に案内された。
調査会場の真ん中には、会計検査院の検査官がいた。その態度は傲然としていた。その横に座っていた年金機構の職員は、へりくだったかのような態度で神妙に座っていた。
検査官は、過去2年分の賃金台帳、出勤簿など関係書類の提示を求めてきた。B社長は、相手の前に資料を出しながらも、ドキドキしてしまった。だがドキドキした心理を見抜かれては困るので平静を努めた。
資料をパラパラとめくっていた検査官は、手を止めた。そしてじっと見つめ、こう言い放った。
「なんだこれ? 数字が違うじゃないか?」
検査官に見つめられたB社長は思わず息を飲み込んだ。そして、うわずりながら、声を絞り出すように答えた。
「いいえ、間違っていませんよ。それが当社の賃金台帳です」
検査官は答えることなく、手元の資料をバンと叩いた。叩いた資料は、分厚かった。
横から、年金機構の職員が口を出してきた。
「会計検査院の方は、あらかじめ貴事業所のことを調べています。今はマイナンバーで、すべてわかるのです」
(マイナンバーだって!)
B社長は、心の中でつぶやいた。そして、うつむいた。
(そうか、役人はうちの会社のことを何でも知り抜いていたのだ)
背中には脂汗が流れた。
巨額の保険料の請求に青ざめる
こうして調査は終了した。A社に来た社長保険料の請求書は「3600万円」と書かれていた。1年間の人件費が合計で6000万円だった。それに対する社会保険料は1800万円で、それを労使で折半することになる。時効が2年間だから、2年間遡及することになり、結局3600万円になった。
B社長は、その金額を見て思わず卒倒しそうになった。同時に持病が悪化して寝込んでしまった。ベッドの上で悩み続けた。食事も喉に通らなかった。そこで出した結論は、自己破産の申請だった。
「3600万円なんて払えるわけがない。労使折半と言われても、いまさら従業員に請求もできない。仮に払ったとしても、その後の保険料が払えない」
新聞にA社の自己破産の記事が載ったのは、それから間もなくのことである。
買い物難民の増加で過疎化に滑車
A社の倒産から数ヵ月経った頃、店の近くの民家でもめ事が起きていた。
高齢者のCさんは80歳になるが、1人暮らしをしていた。だが、娘のD子さんは母親のCさんに老人ホームに入るように強く勧めていた。Cさんが買い物に行くことができず、満足に食事が摂れないようになったからだった。老人ホームに入ってほしい、入りたくない、という押し問答を繰り返した。
Cさんは、しぶしぶ老人ホームへの入居に応じた。だが、自宅で暮らすことを止めるのは、本当に辛そうだった。
A社が店を閉めてからというもの、周囲には空き家が目立つようになった。買い物難民の増加が地方の過疎化に一層の滑車をかけてしまった。